「社会を変える」と、ギラギラしてない。
キラキラとしている。
話を聞いていると、思わず
「いいですね。」と共感する。
そして、
いつの間にか、いてもたってもいられずに
「私たちに、何かできることはありませんか」
と、動き出したくなる。
私たちは、NPO法人いい会社をふやしましょう
の活動を通して、
「志に共感し、心を動かされ、応援したい」と
思う人たちに、
たくさん出会うことができました。
しなやかで、とても謙虚。
でも、しっかりとした軸と強い意志があって、
柔軟に動き続ける行動力がすごい。
そんなみなさんを、インパクトクリエイターと
称することにしました。
みなさんの生き方や働き方に共感し、
自分も動きはじめたいと
ウズウズしていただければ、
これ以上に嬉しいことはありません。
このままでは安心して死ねない
伊藤紀幸
一般社団法人AOH 障がい者のはたらく支援工房 ショコラボ 会長
1965 年生まれ。三井信託銀行株式会社(現・三井住友信託銀行株式会社)に勤務していた29 歳の時に障がいがある息子を授かる。その後も、日本の格付機関である株式会社日本格付研究所(JCR)、外資系のムーディーズ・ジャパン株式会社においてアナリストの道を進む。「障がい者の工賃は月給3千円程度」という言葉に衝撃を受け、雇用の創出と賃金改善のために起業を決意。不動産鑑定評価業務を主とする株式会社不動産投資研究所を独立開業し資金を貯める。10 年を経て2012 年9月一般社団法人AOH を設立。同年11 月、就労移行支援施設として全国初の福祉事業所となるチョコレート工房ショコラボをオープン。プロのパティシエなどの健常者と障がい者の才能をコラボレーションさせ、マーケットを意識した「売れる商品」を開発生産。JR の駅や有名百貨店、ホテルなどで販売。障がい者雇用における既成概念にとらわれない「経営する福祉」が評判を呼び、数多くのメディアで紹介される。
そうか、うちの桃は
そんなにおいしいのか
髙野弘法
株式会社Takano Farm 代表取締役
1988年山梨県山梨市、果樹園を代々営む高野農園に生まれる。千葉工業大学卒業後、果樹の勉強をするため、山梨県果樹試験場に臨時職員として就職。2年後に退職し実家の農園に就農する。連作障がいによる将来への危惧と、「Mt.Fuji イノベーションキャンプ2014」にメンターとして参加したことなどをきっかけに「未来につなげる果物作り」を目指し、独自の事業プランを模索する。2016 年に独立し、株式会社Takano Farmとして起業、減農薬・有機肥料栽培を行い、人にも環境にも優しい果樹栽培を目指す。同時に、別事業として自社の農園で採れた桃を使ったフリーズドライを開発。ミシュラン二つ星を獲得した料理店に食材として採用される。「Mt.Fuji イノベーションキャンプ2017」のビジネスプランコンテスト・始動部門プランコース最優秀賞受賞。
命の尊さを伝えたい
石原慧子
株式会社はちどり コアラドライブ 安城 代表取締役社長
1979年愛知県生まれ。兄と弟の間の一人娘で、小学5年生の時に、母親の難病により三重の里親の家に2年間預けられ育ち、中学2年生で不登校になる。大学卒業後、大手自動車学校での修業を経て祖父が創業した旧・(株)安城自動車学校に入社。評判の悪かった自動車学校のイメージを変えようと、社内改革をしはじめる。30歳で代表取締役に就任。「日本で一番安全なまちづくり」をビジョンに掲げ、地域の交通安全教室をはじめるなど、地域貢献活動にも積極的に取り組む。交通安全教育は「人の命の尊さと感謝の心を育むこと」に重きを置き、交通事故で亡くなった方の遺品や遺族のメッセージをロビーに展示する「生命のメッセージ展」が評判を呼ぶ。2014 年には企業における交通事故削減の社員研修・コンサル事業部「人と安全研究所」を設立する。こうした独自の経営スタイルが注目を浴び、全国から経営者が見学に訪れる自動車学校となる。2015 年、優れた経営手腕を発揮するとともに、地域での活動などに積極的に取り組む女性経営者を表彰する「第25 回中部経済新聞社 中経トパーズ賞」を受賞。
自分の問題意識が、会社の
ミッションとぴったり重なった
辻井隆行
1968年東京生まれ。早稲田大学大学院社会科学研究科で地球社会論を専攻。研究テーマは「日本人の自然観」。1999年、パートタイムスタッフとしてパタゴニア日本支社に入社。入社後も長期休暇を取得し、グリーンランド(2003年)やパタゴニア(2007年)でシーカヤックと雪山滑降を組み合わせた旅などを行う。2009年から2019年までパタゴニア日本支社長。#いしきをかえよう http://change-ishiki.jp を通じて、市民による民主主義を考える活動を続ける。2016 年、日経ビジネス「次代を創る100人」に選出。
ハーバルライフは
人の暮らしを豊かにしてくれる
重永 忠
株式会社 生活の木 代表取締役社長C.E.O
1961年東京都渋谷区生まれ。実家は表参道の大通り沿いで陶器店を営む。小学6年生で大病を患い、長く闘病するも漢方の服用により完治。植物の力に関心を抱く。18 歳の時にアメリカ土産として父が持ち帰ってきたハーブに出会う。父の会社を手伝いながら、ハーブと少女漫画誌との共同企画を機に日本中にポプリブームを起こす。その反響に手応えを感じ、ハーブ事業に本格的に取り組むことを決意。原料集めから販売まで一連のプロセスを全て自社で行う「オール自前主義」にこだわり、オンリーワン企業の地位を確立。直営店だけでも全国に約120店舗展開する。事業を通じてエシカルな活動にも精力的に取り組みつつ、ハーバルライフのさらなる普及を目指す。音楽好きで、社会貢献バンド「XQ’s」としてチャリティーライブを定期で開催。また、地元表参道の商店街振興組合原宿表参道欅会の副理事長を務めている。
日本人の料理する力が
落ちている
伊藤紀幸
株式会社オリーブ& オリーブ代表 From Kitchen 主宰
1964年愛知県生まれ。専業主婦から、料理家のアシスタント、料理関連企画会社勤務を経て、2010年に株式会社オリーブ&オリーブを独立開業。菓子・家電メーカーのレシピ開発、調理撮影、監修プロデュースなど、多岐にわたり「食」に関わる。2012 年に「日本の家庭料理を大事にしよう、我が家の味を次の世代へつなげよう」をコンセプトにFrom Kitchen プロジェクトを発足。台所の知恵を伝える料理教室、実践的なスキルを持った保育調理師の育成、小規模認可保育園に特化した給食サービスを通じて、食べることの大切さを発信する。2013年に赤ちゃん連れのお料理教室「毎日のやさしいごはん」がキッズデザイン賞を受賞。2015年に内閣府の広報誌「暮らしの質向上検討会」事例集にインタビューが掲載される。2018 年に第4回女性起業チャレンジ制度においてFrom Kitchenの給食事業が特別優秀賞食育推進賞を受賞。
細胞レベルから
これまでの生き方を改めよう
山田英治
株式会社 社会の広告社 代表取締役/映画監督
1969年千葉県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、1993年株式会社博報堂に入社。コピーライター、CMプランナーとして大手企業との仕事に取り組み活躍する。2000年から1年間休職、映画監督・脚本家としての活動を開始。2011年の東日本大震災をきっかけに、「細胞のレベルから生き方を改めよう」と決意。ソーシャルクリエイティブディレクターとして社会的課題を扱う仕事をメインにする。翌年にはNPO法人Better than todayを立ち上げる。2015年、長崎の小さな里山の住人たちによるダム反対運動を知り、ドキュメンタリー映画を撮りはじめる。2017年に完成した『ほたるの川のまもりびと』は各方面から多くの反響を呼ぶ。2018年春に博報堂を退社し、社会課題に関連する広告を専門としたクリエイティブエージェンシー、株式会社社会の広告社を設立。環境問題、社会福祉、地方活性化などのさまざまな課題に社会の広告マンとして取り組んでいる。
何かしたい。
でも、どうしたらいいだろう
山中真奈
シングルズキッズ株式会社 代表取締役
1986年埼玉県久喜市生まれ。ギャルサークル代表、キャバクラ勤務、引きこもりを経験した後、地元の不動産会社に就職。数社で実績を積んだのち、「子どもたちのために何かをしたいという思い」から2015年に株式会社Rittaとして独立開業。不動産仲介業を中心に、保育園開設支援、「こどもに想いのある大人が繋がるプロジェクト」や「NPO法人若者メンタルサポート協会」などの活動に取り組む。2017年3月にシングルズキッズ株式会社に社名変更。「シングルズキッズ(=ひとり親で育つ子ども)を最高にHAPPYに!」というミッションを掲げ、ひとり親家庭の母親と子ども専用のシェアハウス「MANAHOUSE 上用賀」を同年6月にオープン。シニア管理人同居、平日夜21 時までの見守り、平日の夜ごはん提供、地域開放型、というひとり親家庭のための新しいシェアハウスの形を提案。課題を見つけ解決するために、自らも住み込みの日々を送っている。
手話って、なんて美しい言語だろう
大木洵人
株式会社シュアール 代表取締役/手話通訳士
1987年群馬県生まれ。言語としての手話の美しさに魅かれ、慶應義塾大学環境情報学部在学中に手話サークルを立ち上げ、同年にNHK 紅白歌合戦の一青窈さんの手話バックコーラスの制作・指導・出演をする。紅白出演をきっかけに、聴覚障がい者向けの娯楽が少ない事を知り、手話映像制作のボランティアをはじめる。その後、彼らの社会インフラが整備されていない現状(手話で緊急電話が出来ないなど)を目の当たりにし、2008年にシュアールを創業。「聴覚障がい者と聴者が本当の意味で対等な社会を創造する」という理念のもと、テレビ電話を利用した遠隔手話通訳や、手話キーボードを搭載した手話辞典「SLinto」など、IT を駆使した手話サービスを開始する。起業後に東京大学大学院情報学環教育部を修了し、慶應義塾大学SFC研究所員も務めた。2012年、国際的な社会起業家ネットワーク「アショカ」より東アジア初のフェローに選定。同年、米経済誌フォーブスよりForbes 30Under30に選出。
社会になくてはならない
素晴らしい仕事
石坂典子
石坂産業株式会社 代表取締役
1972年東京都生まれ。高校卒業後、米国の大学に短期留学。1992年に父親が創業した産業廃棄物処理会社・石坂産業株式会社に入社。埼玉県所沢市周辺のダイオキシン汚染の報道をきっかけに会社が誤解を受け、地域住民からバッシングを受けたことで「私が会社を変える」と一念発起。父親に直談判し、2002 年に代表権のない「お試し社長」に就任する。焼却事業から完全撤退し、難易度の高いリサイクル事業へとシフト、環境に配慮した全天候型プラントを建設し、廃棄物の「減量化・再資源化率98%」を達成する。地域の里山の保全・再生にも尽力し、周辺の雑木林を借り受け「サスティナブルフィールド 三富今昔村」を開業。2013年に代表取締役に就任。斬新なアイデアと行動力、豊かな感性で産業廃棄物処理業界を改革する経営に取り組む。日経WOMAN「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2016」をはじめ、数々の賞を受賞。